2022/06

丁寧に暮らすということ

この春、
進学のために娘が家を出ました。

元来、独立心旺盛なところがある子ではあったし
都会志向が猛烈に強い彼女は
遅かれ早かれ出ていくでしょうと予想していたものの、
思ったより早めの巣立ちでした。

まあ、家族で進路相談を重ねていたおかげで
寂しさとか不安は(ワタクシ側には)小ダメージでした。

ところが、生活のリズムについてはダメージ大きめでした。

まず、息子の頃から続いた弁当作りが終了。
とはいえ、コロナ禍で休校や時短授業が長かったので、
感無量の終了を迎えたわけでないのも事実です。

それよりも、彼女が石狩からバス、地下鉄を乗り継いで
札幌市内の高校へ向かう日々の登下校を無事に遂行させるべく
日々習慣化した朝5時起床からの解放は
いとも簡単に
ワタクシをダメ人間へと滑落させたのでした。

「年々、早朝に目が覚めるよねー」
なんてぼやいていたのに、
気を抜くと、愛犬二頭が
「朝ごはん、まだ?」
「散歩、まだ?」
と寝ぼけたワタクシの顔や胸元におすわりして催促しています。

眠い。
まだ眠い。もっと寝れるわ。

想像はしていたんです。
毎朝5時に起きてやっていたこと
弁当作りとか、一応栄養バランスを考慮した朝ごはんとか
その時間をジョギングやストレッチに充てたら
なんて素晴らしいことだろう。

そんな想像は即座に妄想と化し、
現在に至ります。

それでもひとつだけ
お出汁をしっかりと取るようになりました。


子どもには
忙しいという言い訳をちらつかせながら
「出汁入り味噌」でごまかしていたのに
今、自分が食べるお味噌汁は
煮干しと昆布、鰹節のトリプルで出汁を取っているのです。

ご飯は炊飯器より琺瑯鍋で炊いた方が美味しいと知ってからは
毎日炊き立てを食べられるよう、いそいそと米を仕込む。

ほんと、ごめん。
育ちざかりの頃の子供に謝りたい。
帰省したらちゃんとしてあげよう。

やりたいことを先延ばしに出来ない
微妙な年齢になってきた今日この頃の自分。

納戸の断捨離も
庭先の草むしりも
全然進まないけど
健康と塩分には気を付けて暮らそうと思います。


ある方に
「丁寧に暮らしていそうなイメージ」
と言われたことがあるのですが、
もし、これがそれに当てはまるならば
きっと「自分甘やかし」かもしれません。